フライングガーデンという店名よりも「爆弾ハンバーグ」のほうが有名といわれるくらいの、
当社の看板メニューでもある、「爆弾ハンバーグ」。
その「爆弾ハンバーグ」の誕生秘話をお話したいと思います。
俵型のハンバーグを熱く熱した鉄板に載せて提供し、お客さまの目の前でカットするのですが、その際の油のはねる様子や、ハンバーグの形状から、【爆弾】という名前が浮かびました。
1988年、当時フライングガーデンが3店舗で、メニューも軽食主体であった頃、ある日、我が子(現社長)から『フライングガーデンで一番おいしいお料理って何?』と問い掛けられたフライングガーデンの創業者、野沢八千万は、戸惑いました。「何でもおいしいよ」とは答えたものの、本当に薦められる一番のメニューが無いことに気づきました。
フライングガーデンのまさに『看板』となる商品を開発したい。そこで野沢はフランス料理のタルタルステーキを参考に、1度は開発・販売(1982年「タルタルステーキ焼いちゃった」)をしたものの納得ができず一旦販売を取りやめた「ステーキハンバーグ」の品質改善に取り組みはじめました。
野沢は自ら陣頭に立ち、視察や研究を続け、数ヵ月間、毎日20~50kgもの肉の試作・試食を繰り返しました。試食を繰り返し、そしてついに、これはと思えるものを作り上げることに成功しました。ここに爆弾ハンバーグの前身である「網焼き和牛100%ステーキ風ハンバーグ」が誕生しました。
このとき原型となる「タルタルステーキ焼いちゃった」を開発してから約10年の歳月が流れていました。
この「網焼き和牛100%ステーキ風ハンバーグ」を売り出すにあたって、新規エリアである、宇都宮1号店の下戸祭店オープンにあわせて投入しました。 しかし、オープン当初の下戸祭店の売上は低い状態が続いていました。
ところが、命がけで開発した「網焼き和牛100%ステーキ風ハンバーグ」が、月を追うごとに出数を伸ばし、本当の意味でのフライングガーデンの看板メニューがここに完成しました。
今でも宇都宮ではフライングガーデンという名前よりも「爆弾ハンバーグ」「爆弾」という言葉のほうが有名で、タクシーでも「爆弾ハンバーグのお店に行ってください」と言ったほうが通用することが多いほどです。
販売開始後も改善の取り組みは続きました。 原材料の見直しによる販売価格の引き下げと同時に「爆弾ハンバーグ」への名称の変更を行いました。さらに認知度UPのために採算を度外視した爆弾ハンバーグ半額フェアを約2年間続けました。
店長をはじめとしたスタッフの努力もあり、「爆弾ハンバーグ」は大ヒットし、下戸祭店はオープン後5年で年商2.5倍の超繁盛店、「爆弾ハンバーグ」の注文率は60%を誇る看板商品となりました。
また、この間に「爆弾ハンバーグ」のパートナーでもある和風ソースも改善に改善を加え、よりおいしくしていきました。
このヒットを自信にフライングガーデン全店に爆弾ハンバーグを導入、認知度が上がっていく中で、全店平均でお客さまの50%以上が注文するという看板商品となりました。
また「爆弾ハンバーグ」のヒットこそが、今日のフライングガーデンの発展を作り上げたといっても過言ではありません。
そして今でも「爆弾ハンバーグ」は進化し続けています。一人でも多くのお客さまに召し上がっていただくために、品質の向上と安定供給のために世界各地を視察し、世界一安全と言われているオーストラリア及びニュージーランドより原料を調達し、製造、調理についても安全・安心を追究する取り組みを進めております。「フライングガーデンで一番おいしい料理って何?」と聞かれれば、全社員がこうお答えします。